人が亡くなる原因。

先日、わたしが登録しているメールマガジンの中に、4月14日は「よい死の日」という記述がありました。

以下、そういった話を書きますので、気持ちが沈んでしまう方は、読まれるかどうかご自身で判断して下さいませ。

 

人が亡くなるということをどのように捉えるのか。

 

戦争ではたくさんの人が亡くなられましたが、近年は阪神淡路大震災から大きな地震や大規模災害などで、たくさんの方々が亡くなられています。

恐らく多くの人は、身近でおじいさんおばあさん以外、これまで若い人が亡くなることを意識したことはこんなにはなかったんじゃないかと思います。

もちろん、事件や事故で身近な若い人を亡くした人もあると思います。

 

人が亡くなるって事に対する感じ方って、その立場立場で全く違うと思います。

高齢者だから仕方なくて、若いから残念、ってことはない。

好い人だから残念で、罪を犯した人だから当然、ってこともない。

亡くなるって、フラットなことだと思うんです。

 

近い人、愛しい人を亡くした時、私だって心が凄く動きます。

我が子が酒気帯び運転の事故にあって…なんてことがあった時に、罪を犯した人を身代わりになってよ!と思わないとは言えません。

 

若いときから脳梗塞を何度も起こしていて、言葉も身体もかなり不自由だった祖父が亡くなったとき、伯母かあんまり泣くもんだから「おばちゃんそんなに泣かないで…」って背中をさすったら手を払い除けられて、

「親が死んだって言うのに泣かずにいられるか!」って大きい声を出して、それを何が起こったわからない私の母が台所からすっ飛んできて、いきなり平手打ちされた小1の経験に、人が亡くなるって、ものすごく大変なことなんだ、と、感じたんですが…

それからしばらくして近所のおじいさん(恐らく100近い歳だった)が亡くなったときには、集まった人達が『めでたい』と言うのを聞いて、訳がわからなくなりました。もちろん長生きしてめでたい、ってことは育ってくる過程で理解しましたが。

 

 

そして、そんなことがあってはならないんですけど、自分がしたケアがきっかけになった、なんてことがあったら、気が狂うかもしれません。

そのように思うと、この仕事をしていくのが凄く怖くなります。

それでも、どうあっても、人が亡くなるというのはやっぱりフラットなことなんだと思います。

しっかり、心を込めて、細心の注意を払って、だいすきな子どもたちのケアをしていく、それに尽きると思います。

 

そして、人が亡くなる原因。

それは“生まれたこと”なんだそうです。

事故や病気、自殺もあるけど、いずれにせよ人が死ぬのは、生きているからだ。生きているのは、生まれたからだ。生まれたのだから、人は死ぬ。

子どもに買った本に書いてあったんです。

 

14歳の君へ―どう考えどう生きるか

14歳の君へ―どう考えどう生きるか

 

 生まれた以上はいつか死ぬ。

だからよい生き方をしたいと考えています。