主役は誰?

気管カニューレ事故抜去時の対応について - 学校看護師のひとりごと

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学校の主役は、誰なんでしょう。

 

 

例えば、意思の表出をしていてもわかりづらい肢体不自由と知的障がいのあるいわゆる重複児Aくんがいるとする。

Aくんは小学校入学前の1年間、週に3日療育に通っていた。

周囲からは「Aくん、小学校行ったら新しいお友達、楽しみだね~」と声をかけられると、時折笑顔も見られた。

 

 

Aくんは『学校に入学して友達とたくさん遊びたい』はず。

➡これって周囲の考えでは?と、わたしは考えます。

 

いろんなケースはあると思いますが、Aくんのような児童は、経験値が低くなりがちだと思います。

『お友だち』とは?

『学校』とは?

『たくさん』とは?

『遊ぶ』って?

保育所や幼稚園に通っている子どもの入学時より、Aくんは知らない事柄が多いと思います。

それは仕方のないこと。

 

 

その代わり、通院やら疾患やら医療やらには詳しいから

この匂い(消毒薬)はヤバさげ…ほらね、採血でしょ?とか。

あ、この脈の上がり具合と、足の冷えた感じ…おれ、カゼもらったわ。寝る。とか。

 

なので、A君自身が「学校に行きたい!学校であそぶ!」とは思ってないんじゃないかと思います。

 

じゃあ、Aくんみたいな子どもは学校に行かなくっていいっていうの?!

 

 

いいえ。

だからこそ、学校に行って学んで、経験値を増やすんです。

だから学校に行くんです。

 

 

 

いろいろが大人の思い込みで、

 

6才だから、義務教育だから学校に行くのが当たり前!

なんでうちの子どもは受け入れてもらえないの?!

 

なんでそのように重度な子どもが通学するのですか?! 

何かあったら責任とれません。

 

学校なんか信じられません。

 

受け入れたところで、何かあったら保護者は必ず訴えてくる。

 

 

子どもの入学という、子どもたちが学ぶ機会を得られるめでたいことが、なんで争いの種になるのか…

 主役は誰なのか…

 

教育基本法
第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。