読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いのちのこと。

なかなか、一緒に働いている仲間に対してさえも、どんな気持ちでこの仕事をしているか、伝えるチャンスはないです。

 
ましてケアしてる子どもや保護者には、なおさらです。
 
でも、こんな思いで医ケアの看護師を、学校の看護師をしている人もいるんだなーって、知ってもらいたくて、今日は書きます。
 
 
今どき、じいちゃんもばあちゃんも長生きで、30越えてもお葬式に行ったことない、なんて話を聞きます。
ゲームで主人公が倒れても生き返るから大丈夫、リセットすれば、なんて話で
ひと昔前に「ゲームは…」って議論が持ち上がった事もありましたね。
 
 
わたしは幼い頃から、いのちの最期にご縁があります。
 
4歳の時、母の妹がスキルスで亡くなりました。
お見舞いに行くと「痛いよ、痛いよ。おばちゃんお腹痛いよ。Mちゃん、助けて」って優しかったおばが、細くなった手を伸ばしてわたしの手を掴むのが怖かった。
 
小学生の時、体に不自由なところがある近所の友達が、クラスでいじめられていて、まだ10歳にもならないのに、自分でいのちを絶ってしまった。
 
看護学生の時、寮の同室だった後輩もまた、クラスでいじめられていて、いのちを絶ってしまった。
目のきれいな子で…亡くなる前の前の日、
先輩、むっちゃお世話になっているんで、わたしのお気に入りのCDあげます‼
って言ったの、断っちゃったんだよね…大事にしなよーって。
ザバダックってバンドだった。
 
看護学生の時は他にも仲良かった友達の彼も、事故で亡くなってしまった。
一緒にバイトしたりしてたからいなくなったって信じられなかった。
 
そのあとも小さい時から可愛がってくれてた、母の年の離れた若い従弟や、叔父や叔母、祖父母…
 
どの別れも悲しく、寂しく、辛いけど、
 
若い時の、
若い人との、
別れは…未だに消化しきれていないように思います。
 
 
特に去年の春に亡くした、医ケアで関わった子のことが、いつもわたしの気持ちの底にあります。

若くして亡くなった人たち。
それは寿命だったかもしれないけれど、
 
 
もっと生きられたら、
もっとしたかったことはなんだろう?
もっと知りたかったことはなんだろう?
もっと伝えたかったことはなんだろう?
叶えたかったことはなんだろう?
 
学校っていう枠のなかで、精一杯のことをしたっていう、自分を認める気持ちも確かにあります。
 
わたしが尊敬している方が言ってました。
人は幸せになる義務がある
と。
 
子どもたちに、幸せになって欲しいです。
義務を果たしてほしいです。
そのためのお手伝いを、惜しみません。
おせっかいですが、手伝わせてください。